小野道風の話【VEGETAPSY4コマ-STORY41】

昼間、お母さんとけんかをして機嫌を損ねた日の夜は
必ずと言っていいほど、お父さんの恒例行事が始まる。
竹義(TAKEYOSI):おい!!何をしている!!
          ちょっと下に降りてこい!!
二階で寝ている私たちをたたき起こしたら
お話タイムの始まりだ。

水与(YARI):何なの?寝ているのに…
竹義(TAKEYOSI):いいから、ここに座りなさい

昔々あるところに、”小野道風(onono-toufuu)”という人がいた。
その人は勉強が苦手で、習字も下手だった。
墨汁を溢してしまう小野道風(onono-toufuu):あ!!しまった!!

一言でいうとアホだった。

竹義(TAKEYOSI):お前らと同類だな。

ある雨の降る日に、傘を差しながら町を歩いていた。
小野道風(ONONO-TOUFUU):
“私は駄目だなぁ…。どうしてこんなに駄目なのだろう…。
どうしたら、賢くなれるのだろう?…どうすれば…”

雨の中をしばらく歩いていると、一本の柳の木のそばを通りがかった。
よく見ると、柳の木の枝に一匹の虫が付いている。
その虫を食べようと思った一匹の蛙が、枝に向かって
一生懸命飛び跳ねている。
小野道風(ONONO-TOUFUU):
“あぁ、蛙か。おぉ、跳ねている跳ねている。
お前も、なかなか大変だなぁ…”

”お前は小さい体をしている。そんな体でいくら飛んでも、
届かないよ。もう諦めたらどうだ?”
小野道風(onono-toufuu)はそう思いながら、何回も何回も
飛び跳ねている蛙を、眺めていた。

その時、風が吹いた。
風に揺れた枝が良いタイミングで、蛙のそばに来た。
蛙は柳の木の枝に、飛び移ることができたのだ。

それを見ていた小野道風(onono-toufuu)は思った。
“あの蛙。なかなかやるじゃないか。頑張って頑張って、
失敗しても諦めずに、柳の木に飛びつきやがった。
私だって頑張れば、あの蛙のようになれるのだろうか?
頑張れ私!!頑張れ私!!頑張れ私!!”

竹義(TAKEYOSI):それから小野道風(onono-toufuu)は
        勉強に励み、偉大な学者になったんだ。
        お前たちも、見習いなさい。
        俺も寝るから、お前たちももう、寝なさい。


―小野道風について―

小野道風は平安時代(894年生まれ~967年没)に実在した能書家。
日本での書道の基礎を築いた人物で、宮中で屏風に文字を書いたり、
公文書の清書を書いたりする仕事をしていました。
『柳の木と蛙』の話は、第二次世界大戦前の教科書にも掲載され、
昭和初期生まれの父親から、よく聞かされていた話です。
『柳の木と蛙』の話は本来、小野道風がうまく文字を書くことが
出来ない
所謂スランプの時期のお話ですが、父親がこの話を
学んだのは、父親が小学生の時でしたので聞き間違えたまま
覚えてしまったのか、もともと教科書での掲載がそうなっていた
のかはわかりませんが、”学者になった”と言い張っていました。
ちなみに「何の学者になったのか?」と聞くと、「知らん」
と答えが
返ってきていましたね。
いい思い出話の一つです。

※イラストは、イメージです。
 尚、3個目のイラスト中に”プラスチック容器に入った墨汁を
小野道風が
倒してしまうシーン”が描かれていますが、
平安時代にプラスチック
容器に入った墨汁は、販売していない
ものと思われますので、今風に
アレンジして描いたものです。
ご了承ください。


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